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Posted by Bab at 18:23 / Category: 教育改革 / 10 Comments / 2 TrackBack2006年03月28日
小学校の英語必修化
中教審専門部会の報告として、小学校高学年での英語教育の必修化をすべきだという報告がなされたようです。文部科学省では、早ければ2006年の学習指導要領の改訂をする方針だそうです。
「当面は、教科書を作り成績をつける正規の教科とはせず、総合学習や道徳、特別活動の時間を利用するよう提言した」とのことで、そんなクリエイティビティを要求されることが、英語の指導を勉強していない先生方が多い現場で可能なのかと心配もあります。だからちゃんと予算をつけて人員を配置してあげて欲しいと思います。
小学校での英語教育については、過去のエントリーで書いたように私は賛成です。ただ、上に記したような方針ならば、しっかりと人員と予算の配分をしてあげて欲しいと思います。そして、国語と日本文化学習の時間と予算の確保も忘れずにお願いしたいと思います。
<検討事項>
英語教員の確保
基本的にネイティブを採用するべき
教師の質をどう確保するかという問題はある
他教科との時間配分
国語の時間等をちゃんと確保して欲しい
予算
小学生約700万人、うち高学年約250万人なのでNova Kidsの
月謝8,190円で計算すると
8,190 × 250万人 = 204億7,500万円
これは平成18年度予算の0.0257%です。とは言っても凄い金額、
ボリュームディスカウントで半額位にできるでしょうけどね。
予算については、無駄を省いて借金を減らせば何とかなるんですけどね。製薬会社の三共さんはERPの導入で年間200億のコスト削減を目指しているそうだから、79.6兆円の国家予算と特別会計460兆円(純計225兆円)の我が国で204億円のコスト削減ができない訳が無いと思うのは私だけですか!?
理想論かもしれませんが、良質な教育(何をもって良質と言うかを統一することは難しいですが)を行えば、塾へ行く必要も減るのではないかと思います。それにいい勉強ができるのならば、1時間位家に帰るのが遅くなってもいいんじゃないかと思います。
英語教育を必修にせずに各家庭に任せればいいんだという意見もあります。しかし、私は、戦後の日本の復興や経済成長の大きな原因の一つに、質の高い義務教育があったと考えているので、現在ビジネスの主言語として機能している英語を義務教育で学ぶ意義は大きいと考えます。家庭ではもっと躾けをしっかりすることの方が大切だと思います。躾けまで学校任せでは如何でしょ!
東京新聞:小学校の英語必修化に関するニュース
小学校の英語必修化に関するみなさんの意見
みっちゃんの徒然草さん:確かに日本語の教育に力を入れる必要があります。
新聖地極楽浄土さん:凄いタイトル。国際人については私も基本的に同意見です。
先生のテニスブックさん:確かに必要性かもしれません。
ぼちぼち 行きましょ!さん:文法は大切です。
俺にも一言、言わせろさん:私も遅過ぎると思います。
投稿者 Bab : 2006年03月28日 18:23
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このリストは、次のエントリーを参照しています: 小学校の英語必修化:
» 小学校からの英語教育ってどう思われます? from 「感動創造カンパニー」城北の部屋!仕事も人生も感動だっ!
夜、日経新聞の夕刊を読むと、大きく取り上げられてました [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年03月28日 23:28
» 『英語を子どもに教えるな』市川力 from 本を読もう!!VIVA読書!
筆者は教育学博士ですが、アメリカで学習塾の出先機関として日本人子女の学習を見てきています。これだけ英語の重要性、有用性が語られる中で、自分が海外赴任ともな... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年03月28日 23:50
コメント
TBありがとうございました。
「日本の教育はどこへ行く?」という気がしないでもありません。これからの日本を作っていく子ども達の「教育」は何よりも大切です。ひ弱な子供ではなく、逞しく育っていく教育の必要性を感じます。
また、お邪魔しますね。
投稿者 Kyon2 : 2006年03月29日 13:02
Bab さん
コメントありがとうございます。
本当に賛否両論でした。
でも、対立ではなく、色々な意見を出し合うことから始まると思います。これもブログの素晴らしいところですね。
投稿者 「感動創造」 : 2006年03月29日 16:19
kyon2さん
コメントありがとうございました。
資源国でない日本は人財が大切だと思います。そのために、みんなで協力できるといいですね。「逞しく」というのはいい言葉ですよね!
投稿者 Bab : 2006年03月29日 20:07
「感動創造」さん
こちらこそありがとうございます。
ブログの浸透で、多くの人の意見が世に出るようになりました。建設的に活用して沢山の人の意見が実際に活用できるよになればいいですね。
投稿者 Bab : 2006年03月29日 20:11
日本でも小学校からの英語教育の是非が話題になっていますね。個人的には早くから外国語に触れること自体には賛成です。たかが週に数時間外国語をやったからといって自国語がおろそかになるということはありません。時間数の割合が逆になれば話は別ですが。
問題はその英語の時間に何をどんな風にやるかでしょう。今中学からスタートしているのと同じことをただ2年早く始めるのであればまったく意味はないでしょう。小学校5年からというのはどうしてそう決めたのか知りませんが結構難しいかなと思います。たとえば幼稚園であれば文法など教えずに歌やゲームで英語に馴染むということはできますが小学5年ともなると知性が発達していますので歌やゲームでとばかりにはできません。ある程度知的満足が得られる方法でなければ嫌気がさして逆効果にもなりかねません。
島国の日本での外国語教育は非常に難しいですね。考えてみれば同じ島国のイギリスやオーストラリアは英語圏ですし・・・。
投稿者 ふらんす : 2006年03月31日 17:06
ふらんすさん!
こんにちは。コメントありがとうございます。
教える内容はとても大事ですね。何事もやる気次第とは思いますが、英語教育をすることを教育を受けていない教師がいきなり教えることにも無理があるでしょうね。予算と実際的な対策が必要だと思います。掛け声だけにならないことを期待しています。
英語を使えるホワイトカラーが相当いるインドや、アラビア語の他に英語かフランス語のいずれかを話せる人が多いレバノンなどでの外国語教育は参考になるかもしれませんね。
島国でフランス語圏はマダガスカルくらいでしょうか。
投稿者 Bab : 2006年03月31日 19:54
小学校での英語に幻想を抱いていませんか。5,6年生でたかだか70時間の授業をしても何の役にもたちません。時間と税金とエネルギーの無駄です。女房からよく話を聞くのですが、公立学校の学校現場は大変です。授業そのものが成り立たないクラスが多いのに、英語ができない教員と教育が素人の外国人を組み合わせ、あげくはボランティアやビデオの活用など教育の本筋からはずれた思いつき授業で何ができるのですか。明確なカリキュラムに基づかない遊び半分の授業など塾で鍛えられた優秀な生徒ならたちまちにして、そのばからしさに気付きます。
コミュニケーションの必要性もなく、伝達すべき内容もない会話主体の授業など云ってみれば畳の上の水練です。たとえなにがしかの会話のまねごとができても、鸚鵡や九官鳥の会話と大差ありません。英語は必要性を感じない限り身に付きません。逆にその気になれば大人になってからでも遅くはありません。大相撲の外国人力士をご覧なさい。みな日本語ができるではありませんか。相撲取りになるのに語学力が必要ですかね。
投稿者 50名山 : 2006年05月30日 21:35
>50名山さん
はじめまして、こんにちは!コメントありがとうございます。
確かに幻想なのかもしれませんね。でも子どもたちの能力と可能性を信じたいのです。それに、時間と税金とエネルギーの無駄とは思えないんです。私は、子どもが過ごす、そして学ぶ時間は1時間足りとも無駄なものは無いと思っています。今、大学では英語を年間29単位時間×2講座=58時間(29×90分×2=87時間)を一年間で受講しています。1年で35時間の2年間で70時間では何にも勉強できませんでしょうか!?私は、いろんなことを勉強できると思います。それが英語なのか!?というところには意見が分かれるところでしょうけれど。
公立学校の学校現場は確かに大変でしょう。私が小学生の頃には無かった生活科という教科もできています。生活科では、私が家や遊びや地域社会で学んだ内容を一つの教科として学校で学んでいます。家庭や遊びや地域社会の教育的機能の低下ではないかと考えています。しかし、公立小学校の全てで、あるいは大半で授業が成り立たない状況なのでしょうか!?この点については、わかりません。
英語のできない教員と教育が素人の外国人の組み合わせは確かに心配ですね。外国語の教育についての専門教育コースを日本の大学などで開設したりする必要があるかもしれません。ただ、大学の先生は教員の免許は必要ありません。教育方法について勉強していない先生が大半だと聞いております。当然英語の先生も教員免許が無い方が多いことになります。確かに教えるのが下手な先生もいますね。そんな先生の元で私達は勉強しています。企業に勤めて、最初に私の教育担当になった上司はとても教えるのが上手かったです。元暴走族で教え方など学んでいない方でしたが、私のためにいろいろなことを考えて、教えてくれました。私は、そんな経験から、教師は必ずしも教育の専門の勉強をした人である必要が無いと思っています。していることにはこしたことはないですけれど。
私は、まだ教育の本筋というものがわかりません。しかし、今まで教育学等を勉強していて、教育の本筋と言われるものは見当たりません。教育にも正解というものがあるのか怪しいと思っています。強いてあげるなら教育の本筋とは子どもに対する愛であろうと思います。それに、全国の先生方がみんな思いつきの授業をやってばかりいるとは思えません。工夫して指導計画を作って、様々な教材を用意して努力している先生が大半だと思います。思いつきの授業をしている教師もいるかもしれません。でも、それほど多いのでしょうか!?それに、遊びを通して学べることも沢山あると思っています。
授業がコミュニケーションの必要性もなく、伝達すべき内容もない会話主体の授業内容になるのかは、私にはわかりません。現場ではそのような授業を計画するとは思えません。しかし、英語の教育方法に関して学んでいない先生が、実際に教えることは難しいでしょうから、予算と相応しい人材を配分・配置して欲しいと思っています。
英語は必要性を感じない限り身に付かないのでしょうか!?私も必要性を感じた方が上達し、能力も伸び易いと思います。私は必要性が海外赴任するまでありませんでした。確かに仰るように、海外赴任してから必要性を感じ、上達したと思います。しかし、必要性も感じずに勉強したことが基礎になっていると思います。必要性を感じれば、大人になってからでも身につけられるでしょう。仰るように、外国人力士はみなさん日本語を上手に喋られます。しかし、必要性を感じて学ぶことは勉強であって、教育とは似ていますが、教育とは違うものではないでしょうか!?教育とは、親や先に生きている大人や社会が、必要であろうと思われることを教え育てることではないのでしょうか!?子どもは算数をすることの必要性をみんな感じて勉強しているのでしょうか!?子どもは理科の必要性を始終感じて勉強しているのでしょうか!?私は、大人が準備して決め、勧める授業の中で、子どもたちが楽しさを見つけたり、自分でより知りたいという発展するつぼみを作ることも教育の役割であると思っています。
以上が私の考えです。コメントを頂いて、自分の意見をまとめるいい機会になりました。誠にありがとうございました。
投稿者 Bab : 2006年06月01日 11:29
丁寧なご回答ありがとうございます。読ませていただいた限りでは貴方のご意見はあまりに希望的、楽観的に過ぎ、なお、教育の現実との乖離を感ぜずにはおられません。
まず始に小学校英語の導入は、短絡的な政策課題に教育がゆがめられている現実の延長上にある施策であることを指摘しておく必要があります。詰め込み教育が批判されれば「ゆとり教育」が導入され、いじめなどの学校荒廃が深刻化すると「生きる力」、右肩上がりの経済が行き詰まれば創造力涵養のための「総合学習」、グローバル化が叫ばれれば「国際理解」、情報社会への対応のためには「パソコン教育」など、ここ数年特に初等教育が時代の波に翻弄されて猫の目のように変転していることに私は強い危機感を持っています。そのたびにいたいけない子供達がその圧力をもろに受け、悲鳴を上げている。学校、とくに公立学校の荒廃化といえば、以前は子供達の間だけの問題でしたが、今では教師の無気力化、管理体制の崩壊へと深刻化しています。その典型的な現れが大部分の教師が反対であるにも関わらず小学校での英語教育必修化に当事者からほとんど反対の声が挙がらないことでしょう。
「小学校英語」はそもそも小渕内閣当時の「英語が使える日本人養成のための戦略構想」から端を発し、最初は「総合教育」のなかの課題「国際理解」の一部として小学校で取り上げられましたが、それが2010年から「成績評価を伴わない必修化」を目指すものとなりました。小さな既成事実を積み重ねて、国民的論議を経ぬままに、本来の趣旨をねじ曲げてことを運ぼうとする典型的な官僚の手口に嫌悪感を覚えますが、行き着く先は正式教科化、現行受験英語の前倒しとなることは目に見えています。ところが何故小学校における英語教育が必要なのかについて、審議会での論議を見ても文科省は 1)国際社会のグローバル化。 2)近隣諸国の動向。 3)保護者の要望。を挙げているだけで、なんら説得力ある理由を示していません。しかもその実施に当たっては解決すべき課題が山積みなのに、先の投稿で述べたようにALTやボランティアの活用などによるお遊び授業を提案するだけで、一貫性のあるカリキュラムを提示できないのでは、まじめな教師がとまどうのも当然です。勘ぐれば、すでに約1兆円の税金を投入しながら何の成果も上げていないALT事業の予算枠確保や小学校英語の「英語産業」への丸投げを考えているのではとも思いますが、教育の本筋をまったく踏み外した邪道です。
パソコンなどと同じように英語は我々日本人にとっては外国と付き合うための単なる「手段」です。英語で日本の文化が伝承され、我々のアイデンティティが確立されるものでもなく、今後子供達が人生を歩む上で必要とされる知識や技能を習得する上で不可欠な媒体でもありません。その意味で国語とは重要度が決定的に違います。学校で学ぶことなど実社会では直接役にはたたないし、社会に出てから学ばなければならないことは学校時代より遙かに多いのです。語学などもその一つで実際に必要性が生じた時に学べばよいのです。
義務教育の目的は子供達が社会に巣立ったとき、ものごとに自主的に取り組む自立した社会人として生活し、かつ社会に貢献する人間となるための基礎的なトレーニングをすること。つまりは
① 明確な目標をもち
② そのために継続的な努力を惜しまず、
③ 成功体験をかさねて、生活習慣の一部となる。
ように導くことです。
このような習慣が身に付いた子供はたとえ学校の成績がよくなくても立派な社会人となり、自分自身、家族、社会をささえることができます。教師にとってなにより大切な素質は、子供達への愛情、教育への熱意、自分自身の生き様を通して子供達のロールモデルとなることです。真の教育者なら授業がなりたたないままの教室を放置することなど断じてないでしょう。全力をあげて取組むはずです。片々たる知識の伝授、ましてや英語が話せるか否かなど基礎教育とは何の関係もありません。教育の本質は江戸時代の寺子屋であっても今日と全く違いはないのです。教育は「不易」です。断じて「流行」を追ってはなりません。
ここでは英語学習そのものには触れませんでした。私が小学校英語に反対するのはいわゆる
Communicative Approachを主体とした英語教育法に根本的な疑問を持っているからですが、これについては気が向けばまた投稿します。
投稿者 50 : 2006年06月02日 16:05
>50さん
返信が遅れまして申し訳ございません。こちらこそご意見ありがとうございます。
確かに私の考えは希望的で楽観的かもしれません。しかし、大人社会が変わることとに加え、教育は時間が掛かるとは思うのですが、最大の社会がよくなるための最大の投資であると期待しているのです。
教育行政は、ご指摘の通り変転を繰り返しています。特に公教育は、為政者や世論の影響を受け易いものですから、仕方が無い面もありますが、どっしりした教育に対する理念や国の将来の理念の欠如がその原因かもしれません。しかし、これは民主主義というシステムでは、出てきやすい問題なのかもしれません。その意味でも、私は政治家からどのような教育にしていくという明確な政策や理念や方針などが選挙の度に示されるべきで、そのような観点も選挙の際の投票の判断基準とされるべきだと思っています。しかし、それは教育行政の変転を止めるものにはならなく、むしろ変転していく原因になるかもしれませんが、官僚が勝手にやっているという状況は少しは無くなるかもしれません。
また、教育において、知育中心か、意志や感情を伴った心の教育中心か、という議論は古代から行われて来ているそうです。どちらかに傾けば、別の方の必要性が叫ばれるという繰り返しをしているようです。
公立学校の荒廃について、何人か公立学校で働いている友人に話を聞きました。授業が成り立たない学校も確かにあるようです。しかし、全ての学校ではないようです。授業が全く成り立たないクラスが3つ4つある学校もあれば、授業はきちんの成り立っていて大きな問題が発生していない学校も大半のような印象を受けました。これは実際に正確な調査資料が必要であるかもしれません。また、地域差もあるとも思います。個人的には、小学生がいる親御さんにも話を聞いたり、現役の先生からも話をもっと聞いてみようと思っています。
私は、授業が成り立たない理由は、様々だと思います。力の無い教師がいることも事実だと思います。一方で家庭教育が悪いまたは欠如していることも授業を壊す子どもになる一因であると思います。私は、教育は沢山の可能性をもった子どもたちと、親、教育者、そして社会が一体となって取り組むべきもので、授業が成り立たないということは、学校や教師だけにその責任があるものではないと考えています。
50さんは、学校の勉強などは実社会では直接役に立たないと仰られてますが、その点について私は賛成しかねます。私は今までの仕事において小学校や中学校で学んだことが実際に生きてます。ある意味、その程度のレベルの仕事なのかもしれませんが・・・
私は、むしろ学んだことが社会でどのように生きているかということを教えたり、社会とリンクする教材の量を増やす必要があると思います。
また、義務教育では、社会に役立つことだけではなく、幅広い人間性を養成する基礎となったり、専門的な学習を深めるための様々な種を植えるべきだと思っています。その一つに、私は英語を加えるといいと思っています。
義務教育の目的について、お示しになっていることは、義務教育の基本的な目的として大賛成です。しかし、その目的を達成するための内容として、どのような教育方法を取り入れるかについては、いろんな意見があります。また、あっていいと思います。
改めて、英語教育に関するエントリーを掲載するつもりです。Communicative Approchに関する英語教育への疑問をもってらっしゃるとのこと、大変興味があります。そちらにも50さんの英語教育についてのご意見を賜われれば幸いに存じます。
投稿者 Bab : 2006年06月07日 15:56