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Posted by Bab at 18:59 / Category: 教育倫理・哲学 / 2 Comments / 0 TrackBack2006年03月29日
作品の内容と作者の人格どちらを優先するべきか!?
近頃私は、誕生日プレゼントに本を贈ることが多いです。昨日も友人の誕生日だったんですが、『リトル・トリー』をプレゼントしました。実はこの本については、作者のフォレスト・カーターがアメリカの極右の白人至上主義団体のメンバーだったということをあるネットで見たので、本当かどうかアメリカにいる友人に調べてもらいました。友人からは、確かに彼はそのメンバーだったという連絡が来て、いい内容の本だけにとてもがっかりしました。それ以来、『リトル・トリー』は私のプレゼントしたい本のリストから外れたのですが、昨日再びプレゼントすることにしました。
理由は作品としていいものだからです。私も、人種差別は許せません。また、この作品はチェロキーの人々の描写などで不正確なものもあるとされています。しかし、私はそれでも作品の全体の良さは変わらないと思います。
文学や芸術の作品は、世に出されることにより作者の手を離れ一人歩きします。しかし、作品をより深く理解するには作者の置かれた環境などまで立ち戻ることが必要とされることがあります。そして、事実として「優れた作品=素晴しい人格を持った作者」という訳ではないことに気付きます。
優れた文学や音楽や芸術作品と作者の人格のどちらを優先するべきか!?一つの判断を下した今でも、私は心の隅に引っ掛かるものがあります。
参考URL
フォレスト・カーター書籍書評
Native Heartさん:リトル・トリーがKKKの一員である作者が書いたと
知ったブログ
投稿者 Bab : 2006年03月29日 18:59
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コメント
はじめまして、わたしは最近ブログを始めたものです。随分前に読んで、とってもよかった『リトルトリー』について少し調べてました。何だか色んなことになってるんですね。
結論から申し上げれば、作品と人格は(よい悪いではなく)関係あると思います。ただし、ただしです。ネット上で話されている「人格」とは随分あやしい。
KKKの「人」についていったいどれだけ知っているのか? レイシズムの「人」をどれだけ知っているのか? カテゴライズして「人格」を決定しているだけではないのか?
私の少ない経験でも右翼にも左翼にもすばらしい人、つまらない人がいました。所属しているものだけではわかりません。ナチスの芸術だってすばらしいものはあります。
もちろん、その作品を評価することによって、作者の所属団体を間接的に支援することになりはしないか、という心配はあるかも知れません。ただ、それは政治屋にまかせておくことです。われわれは直接性を信じることではないでしょうか?
作品にしっかり耳を傾けることです。作品と「私」との関係性を見つめることです。勝手なカテゴリーとカテゴリーで敵対関係を作る。不毛な政治のやることです。
長々と生意気申し上げました。あなたは一人だけではないですよ。
投稿者 けっこう仮面 : 2006年05月07日 04:31
けっこう仮面さん
コメントありがとうございます。
作品は人が作るものですから、少なからず人格が関係していると思います。そして、おっしゃるように、ある種のレッテルを貼られカテゴライズされた人達の人格を自分の判断として受け入れていることが多いのも事実ですね。
確かに、作品と「私」との関係性を見つめることが大事ですね。ただ、ここで悩んでしまうのは、子どもたちがこれらの本を読んだ時に、次々に興味を持って同じ作者の本を読むことで、極めて問題のある図書に辿り着いてしまうことがあるのではないかという懸念です。左翼や右翼というイデオロギーの問題ならまだしも、人種差別主義というのは受け入れられないものであるので、リトル・トリーは人種差別が問題であると理解していると私が判断した人にのみプレゼントをするべきかなと考えています。その判断すら正しいかはわからないのですが・・・
そのような私の考え方から、今ひとつリトル・トリーは取扱いを注意しなければならない作品となっています。
投稿者 Bab : 2006年05月08日 13:26