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Posted by Bab at 20:04 / Category: 教育論 / 0 Comments / 0 TrackBack2006年05月09日
教育現場としての地域
近年、少子化や子どもを狙った犯罪の増加などにより、兄弟が少ない、近所に子どもが居ないなどという、子どもがコミュニケーション能力を高める環境が少なくなってきたという指摘があります。
そのような指摘の一つとして、アメリカのJane Jacobsが、その著書
『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、SD選書:鹿島出版会)において、商店街などの歩道の安全性、地域住民との接触、子どもの同化作を説いています。つまり、歩道は地域住民の目があり、常に子どもたちは誰かに見られており、よそ者の侵入に対する監視の目があり、子どもたちの安全は守られている。地域の商店街の人々や2階やバルコニーに出て来る住民との接触を通しては、公共性とプライバシーを学ぶ。そして、歩道で遊ぶことを通して、その地域の人々との関係を築き、成長し、社会に同化していく。そのような地域社会における歩道の機能は見失われており、むしろ都市計画を行う計画者たちがそのことを考えずに作る公園なるものの方が危ないと言う訳です。
随分と端折って言うとそういうことなのですが、実際は、もっといろいろコルビジェや田園都市などのことも含めて沢山のことが書いてあります。このJacobsの考えは、渋谷や新宿の中心地で人が多過ぎるところには通用しませんが、ある程度に顔の見える地域社会のサイズであれば、このことはとても有効な考え方だと思います。
商業集積を行うことで、購買という側面で企業と消費者に効率化をもたらしますが、その一方で失う役割や機能もあるということですね。Jacobsの時代とは生活そのものが異なる大型店舗の時代の地域社会のあり方は、果たしてどのようなものがいいのでしょうか!?また、教育機現場としての地域社会はどのようなものであるべきなのでしょうか!?教育学だけでなく、社会学や都市計画や経済学などなどさまざまな分野を横断的に考える必要があると思います。このことも自分の意見をまとめなければならない課題です。
投稿者 Bab : 2006年05月09日 20:04
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