2006年09月09日

観光地で働く子どもたち

 現在中東旅行中です。ヨルダンのペトラの遺跡に行きました。素晴しい所です。そこでは、大人たちに交じって小学生、あるいは小学生前位の子どもたちも観光客に何か買ってもらおうとしたり、移動手段としてのポニ−やラクダに乗ってもらおうとしきりに声をかけてきます。同じ7〜10歳くらいの年頃の観光客と現地の子どもが、片や馬に乗り、もう片方はその馬を引いています。現地が夏休みなので手伝っているのかもしれません。しかし、既に学校が始まっているシーズンだとしたら、少し切ないと感じてしまいました。
 確かに彼らが幸せであればいいので、私の価値基準で判断すべきことではありません。しかし、現代の産業化された文明社会と呼ばれる社会と接触し、そこに組み込まれた場合は、そこから組み込まれた社会側の状況に則して生きて行かなければなりません。そのために、彼らは働いているのではないかと思います。
 ペトラへの途中では、平原でベドウィンの人々も見掛けます。広大な大地を羊やヤギと一緒に移動して暮らしています。そこでは、ベドウィンの社会で、ベドウィンの社会に必要な教育が行われているに違いありません。教育は社会に則したものであるはずです。特にベドウィンの生活においては、その生きるために実用である事柄=実学が教育されるのではないかと推測します。
 私は産業化あるいは文明化と呼ばれる社会で生きています。したがって、個人的な私特有の幸せ観というものは持っていますが、生きている社会に何らかの影響を受けているに違いありません。もちろんベドウィンの人々の生活においても、ベドウィンの人々にとっての幸せというものが当然あるに違いありません。どちらが幸せなのか、それはわかりません。幸せというものは人それぞれ違っていて当然なはずですから。そのような意味で、一方のサイドから一方的な幸せ観を押し付けるのはおかしいと思います。しかし、観光地などで、既に産業化された社会に組み込まれた人々を見た時、特に子どもに対して、生きて行こうという属する社会の教育を受けることができるか否かということがとても大切ではないかと思います。生きて行く社会での最低限のコンセンサスや基礎的な学力を共有しなければ、社会がスムーズに機能しないのではないかと感じるからです。そのような意味からも教育の高い公共性というものを感じます。しかし、そこでは今日生きるために働かなければならないという現実をどうするかということも、教育を受ける環境を整えるという一つの課題となっているのかもしれません。このことは、既に多くの人々が指摘していることで、今更私ごときが云々言うことではありませんが、改めてそのようなことを考えました。




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2006年06月29日

キッザニア 子どものお仕事体験テーマパーク

 お昼のニュースでキッザニアというテーマパークが、現在豊洲に建設中だということを知りました。バーチャルで作った街で、空港、テレビ局、新聞社、警察、消防署、病院、獣医、銀行、美容室、お菓子工場、コンビニなど約50種類のパビリオンで子どもたちがいろんなお仕事を体験するというものだそうです。子どもが仕事を体験するということはとてもいいことですし、楽しみながら遊びながらというのもいいですね。また、体験を通して他の子どもたちとコミュニケーションをとることができるということもいいことだと思います。
 ただ、テーマパーク化しないと子どもが体験できないというのは、少し悲しく思いました。また、地域と隔離された場所で行わずに、地域で同じようなことができればもっと素晴しいと考えます。
 いずれにせよ、実社会と結びついた教育という点において、一つのいい提案になると思います。


 Kidzaniaのホームページ




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2006年06月19日

大人の姿

 日銀総裁の村上ファンドへの投資の問題。どういう結末になるのでしょう。私は、子どもの頃から、子どもは悪いことしたら怒られて謝らなければならないのに、大人達は何故悪いことをしても罰せられないのだろうと感じていました。
 自分の親だけでなく、メディアで観る大人の姿も子どもに大きな影響を与えています。子どもたちはとても影響を受けやすく染まり易い傾向があります。私は、悪そうな疑わしそうな、それでいて知らんぷりしたり、記憶が無いなんて言ったりする大人達を見ながら、もしかしたら世の中って狡賢い者が得をするのじゃないかって、ひねた見方をし始めていたように覚えています。
 歴史において学んできた日本人の潔さと、全く異なる最近の日本社会。腹を切れば、辞めれば、問題が解決する訳ではありませんし、時には辞めることで問題に蓋をしてしまうこともあります。しかし、保身ばかりが目立つこの頃の不祥事の責任の取り方を子どもたちはどう感じているのか、調べてみたくなりました。




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2006年05月20日

日本代表選考の影響

 サッカーの日本代表選考は、全てが私の予想通りではありませんでした。リズムを変えるドリブルができる若手を連れて行ってあげて欲しかったですが・・・(^^)しかし、今の23人もベストメンバーですね。大活躍して優勝目指して頑張って欲しいです。 
 今回の選考について、ドラゴンの落選はちょっと意外で残念でしたが、巻選手の選出は私も嬉しかったです。今朝もテレビの街頭インタビューでも、多くの人が、頑張ればいいことがあるんだと勇気をもらったと言っていました。自分も勇気をもらいました。
 社会は厳しいもので、全てが今回の訳のようにいきません。しかし、頑張っている人間が報いられることで、多くの人間が自分も頑張ろうとやる気が出る訳ですから、評価というのはその当人だけでなく、周囲にも大きな影響を与えるものです。企業もそうですし、学校も同じでしょう。
 自分も中学生の時に、野球部ではレギュラーには成れなかったのですが、せめてベンチ入りメンバーに選ばれるよう、練習後も当確ライン前後のみんなで集まって自主トレしていたのを思い出しました。そのかいもあってか、何とかベンチには入れました。嬉しかったけど、同じく自主トレしていた仲間で選ばれなかった者もいたので、複雑な気持ちでした。
 人数の大きな部活動などでは、メンバーに選考される人の何倍も選考されない人が多いです。教育の現場では、頑張ればいいことがあるということを示すと同時に、そんな選ばれなかった人達の気持ちもちゃんと拾っていくことが必要なのではないかと思います。




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2006年05月14日

サッカー日本代表の選考

 サッカー日本代表の23名が明日発表される予定です。1998年はキングカズと北沢選手、2002年は俊輔が選ばれず、様々なことが言われました。サッカーだけでなく、マラソンや様々なスポーツの代表選考なども難しいものです。もっともスポーツだけでなく企業においても、昇進や昇給は人事の中心であり、組織のパフォーマンスを大きく左右するものです。このような評価の難しさというのは、スポーツや企業や教育現場それぞれに存在するものですね。
 難しいのはサッカーがチームプレーであるということと、評価の公平性と透明性を確保することがとても難しいということです。最後は、ジーコ監督が決定して、その結果が全てということになるのでしょう。
 Jリーグでの実績か?過去の予選や代表での実績か?ジーコの求める能力なのか?明日の発表が気になります。




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2006年04月01日

新年度とApril Fool's Dayの起源

 4月1日です。新年度が始まりました。無事進級できました私の新学期は6日のオリエンテーションで今年はスタートします。新しい学生証、分厚いシラバスの交付、健康診断でスタートです。そういえば区でできる無料の健康診断と歯科診断行ってなかったから、学校の健康診断で済ませてしまいます。そして、同級生達は元気でしょうか!?それも楽しみ!!
 ところで4月1日というとエイプリルフールですが、実は4月1日の午前中だけ嘘を言ってもいいとされていたらしいですね。エイプリルフールの起源は、16世紀にフランスでそれまでの3月35日を新年として4月1日まで祝っていたものを、1月1日を新年と変えたことに対する反発から、嘘の新年として騒いだこととされているようです。フランスでは"Poisson d’avril"と言うそうです。詳しくはWikipediaでどうぞ!ちなみに日本では4月1日は日頃の不義理を詫びる日とされていたそうです。知りませんでした。詫びなきゃならない人だらけです・・・
 日常的にはその起源などを知らずに流されているのが大半です。でも、今日、情報の真偽を見分ける力が必要ですが、インターネットを使って手軽にいろいろ調べることができる便利な世の中になりました。なぜという疑問を持ってよく見てみると、世の中知らないことばかりなことに気付かされます。




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2006年02月12日

高就学率を実現した明治政府

 教育史の勉強をしたのですが、日本は1902年には男女合わせての就学率が90%を超えていたのですね。1911年には98.2%を実現していました。これは学制をはじめとして、教育令、小学校令などの義務教育制度の確立が大きく影響していました。
 明治維新を直前から開国した日本は、欧米の圧倒的な文明の力に驚き、富国強兵の名のもとに近代化を進めてきました。その中でも、福沢諭吉、西周、木戸孝允、伊藤博文などは、近代化というものが知識を背景にしたものだということをよくわかっていたようで、教育制度の確立の重要性を説いていました。それは近代化には、高度な知識を持った技術者と読み書きができてある程度技術を理解できる大量の労働者が必要であったという状況を視察などを通して、よく理解していたのかもしれません。その意味でこれらの人々の洞察力というものは素晴しいものであり、資源の無い日本の近代化や高度経済成長は、義務教育制度を中心とした教育の賜物であるとも言えるのではないでしょうか。
 今の日本に必要な教育とはどんなものなのでしょう。教育史を勉強することはそれを考えるヒントになる気がします。


参考文献
 『日本教育少史ー近代・現代ー』 山住正己 岩波新書
 『教育史からみる学校・教師・人間像』 山田恵吾・貝塚茂樹編著 梓出版社
 近代日本教育関連書籍 
 




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2005年12月13日

翻訳サイト

 初めて大学で学んでた頃は商用インターネット接続が開始される前の時代です。商業英語の先生がインターネットの可能性を話していたのをうっすらと憶えています。時代はその通りになって来ました。


 昨日のOral Englishではグループに分かれてアメリカの情報を調べているのですが、インターネットで調べています。実は18〜20歳位の人たちは、我々30代よりもインターネットを既に使いこなしていると思っていたのですが、実はそうでもないようです。レポートもインターネットで調べて丸写しすることは禁止だなどと、先生が言うもんですから、そういう実例があって若い子はみんなインターネットやPCを達者に扱うんだろうなと思っていたのですけれど、人によりきりのようです。実は今は仕事がコンピューターやインターネットベースになっているので、働いている人間の方が使うのかもしれません。携帯は若い子にはかなわないでしょうけれど。


 少々悩んだのが、翻訳サイトを教えていいものかということです。機械翻訳ですから英語表現としておかしなところがあると思うんですが、サイトを鵜呑みにしたり、英文をそれで全部作って自分で考えなかったら勉強にならなくなってしまうのではないか、などと同級生ながら彼らの親の年齢にほど近い私は思ってしまうのです。無用な心配なんでしょうか!?きっとそうですね。個人の判断や意識がより大切な時代になりました。




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