2007年09月05日
宿題代行して何になる!?
宿題の代行業者という商売があるようです。読書感想文2万円、工作5万円だそうです。まああっても不思議じゃないですが、そういう所にお願いする親というのも何なんでしょうね!?業者側も自分のことしか考えていないんでしょうね。ビジネスの世界で人のものを代わりにやる人がいても、教育の段階でそういうことを許してはいけないと思っています。
教育基本法の改正もいいけど、こういうサービスの一定の制限ってできないものですかね。やっぱり自由市場というのは高い倫理観の下でこそ運営すべきなのでしょうか!?倫理観というのも最早変わって来ているし、一つじゃない時代なのかもしれませんけれどね。
親も子供も宿題丸投げ いま代行業者繁盛:Yahoo!ニュース
2006年09月29日
学校の教材に不倫を題材にしたものはOKか!?
ある中学校で、不倫を題材にした小説から国語の問題が出題されたということを授業で聞きました。先生は、現実社会に存在していることを子ども自身も認識しなければならないという観点から、それは必要なことだろうと仰ってました。現実、世の中で起きていることであることを子どもたちは、テレビなどを通して既に知っているでしょう。
不倫が報じられると政治家や芸能人は、マスコミに叩かれます。時には辞任したりと大きな騒ぎになることもあります。しかし、一方で不倫を題材にした文学作品が純愛だとして、もてはやす報道があったり、ドラマや映画になることもあります。
一元的な善悪の基準による勧善懲悪でなく、現実に起こる出来事からそれを感じ取る人が善悪を決めていい、というのも現代の特長のように思える時もあります。それが自由な社会であって、個人主義の時代の価値観の決め方であるようにも思えます。しかし、それでいいのか!?という疑問も私の中に残っています。残念ながら、私には今、この場でOKかどうかの是非を述べることができません。
2006年09月28日
新文部科学大臣「小学校の英語必修化の必要なし」
新しい内閣になりました。新しい文部科学大臣は、小学校での英語必修化は必要ないという発言をしたようです。必修化する必要はまったくない。美しい日本語が話せず書けないのに、外国語をやっても駄目だ。子供のころからやりたい人は個人的にやる。小学校は外国語に興味を持つ程度にとどめるべきだ」ということだそうです。
小学校英語「必修化の必要なし」:Sankei Web
上記のSankei Webによりますと、文科省が今春行ったパブリックコメント(総数471件)では積極論が54.6%、消極論が40.1%と意見が二分しているそうです。
この問題は以前から、議論が確かに二分しています。私個人は以前から必修化に賛成です。
「美しい日本語が話せず書けない」ということなのですが、確かに自分も含めて正しい日本語を話すこと、書くことができない人がいることは確かかもしれません。しかし、学校では正しい日本語を教えているにもかかわらずです。学習時間が足りなかったからでしょうか!?
個人的には、テレビの影響も大きいのではないかと思います。しかし、根拠が無いので少し調べてみたいと思います。そういえばそのテレビで、国会で承認される法律は、日本語として美しくないと国語学者の先生が言っていたのを観たことがあります。
2006年07月07日
コンプレックスを解き放て
前期試験が間もなくなのですが、今年度はテストよりもレポートが多いため、試験前のこの時期がとても忙しくしています。そのため、なかなか更新することができていません。今日は、ちょっと嬉しいことがあったので、勢いに乗じて更新します。
私は、久しぶりに美術系の作業が楽しいと感じることができました。水彩絵の具を使った色面構成の作品を作ったのですが、構図を考えるのと色を塗る作業に集中することができて、とても気持ちよく、楽しい時間を過ごすことができました。
何だか小学校の時に図工の時間でちょっとしたできごとをきっかけに、図工や美術に苦手意識を持つようになりました。また、親からも親が不器用だからお前も不器用でも仕方が無いと言われ続け、自分は不器用なんだと思い込んでいました。そんなことで、図工でも特に絵を描く時間や中学の美術の時間がとても嫌いでした。私は、様々なことをイメージで頭の中で思い浮かべることが多いのですが、それを絵などで形に表すことが苦手だったりします。思い浮かんでいるイメージをそのまま作ることができないのです。そんなことがあったりして、常に苦手意識をもってしまっていました。
しかし、今回課題をやる中で、本音かどうかわかりませんが先生に面白い構図だと言われたり、集中して自分のイメージしている色を作ったりや形に塗ったりする作業をしていて、自然と面白い。またやってみたい。という感情が湧いてきました。今まで苦手意識を持っていたけど、何だかやれば面白いじゃないか!という気持ちになりました。時を経て、面白さを再発見できることもあるものですね。
2006年06月09日
学力とは何か!?(1)
最近、日本の子どもの学力の低下がニュースになります。果たしてそれは正しいのか?ということが、現在大学で話題として出てきます。確かに、マスコミや文部科学省が統計を自分達のいいように使っている要素も多分にあるようです。そこで、今、大学で勉強している学力について、復習を兼ねてまとめていきたいと思っています。
まずは、中央教育審議会という文科省の諮問機関が答申として出した学力について、まとめたページがありますので、ご紹介致します。
中央教育審議会2003年10月7日の答申
初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)
キーワードは、「確かな学力」ということなのですが、狭義の学力とも言える知識と技能だけでなく、学ぶ意欲、思考力、判断力、表現力という広義の学力を含めた能力を学力と考えているようです。この流れは、最近の学力に対する考え方の主流であるとも言えるようです。
2006年05月22日
教育と社会が密接に関係している
教育の問題は、教育現場だけの問題ではなく、家庭や社会全体の相互に関連した問題であります。一つの方法論で解決するような問題ではないと思います。その一つが、朝食を摂らない児童と成績の関連性です。残念ながら統計資料がなくて、恐縮ですが、教師論の授業で朝食を摂っていない子は、摂っている子に比べ成績が良くないという統計があると習いました。現実的に朝食を摂らない児童が増えているそうで、集中力を無くしたり、脳の発達にも影響があるようです。
朝食を出せない理由は様々であるとは思います。経済的な理由だったり、放ったらかしだったり。このような原因については、教育で解決できることとして直接結びつけることは難しいかもしれません。例えば親の悩みを聞いてあげるなど、そういった家庭の問題の解決が必要なのかもしれません。良い教育の第一歩には良い家庭があるのかもしれません。しかし、ひもじい中でも勉強して育った親の世代を考えると、甘ったれんな!という言葉が聞こえてくるようです。
少子化対策などでは、お金をバラまくことだけではなく、もっと多面的に対策を考える必要があるかもしれません。親に学校に子どもを送らせて、担任と毎日コミュニケーションをとるというのも、もしかしたら一つの方法かもしれません。以前紹介したイギリスのカルバートン小学校では、この方法が用いられていました。
校長先生がみかねて栄養失調児に牛乳:Yahoo・毎日ニュース
2006年05月09日
教育現場としての地域
近年、少子化や子どもを狙った犯罪の増加などにより、兄弟が少ない、近所に子どもが居ないなどという、子どもがコミュニケーション能力を高める環境が少なくなってきたという指摘があります。
そのような指摘の一つとして、アメリカのJane Jacobsが、その著書
『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、SD選書:鹿島出版会)において、商店街などの歩道の安全性、地域住民との接触、子どもの同化作を説いています。つまり、歩道は地域住民の目があり、常に子どもたちは誰かに見られており、よそ者の侵入に対する監視の目があり、子どもたちの安全は守られている。地域の商店街の人々や2階やバルコニーに出て来る住民との接触を通しては、公共性とプライバシーを学ぶ。そして、歩道で遊ぶことを通して、その地域の人々との関係を築き、成長し、社会に同化していく。そのような地域社会における歩道の機能は見失われており、むしろ都市計画を行う計画者たちがそのことを考えずに作る公園なるものの方が危ないと言う訳です。
随分と端折って言うとそういうことなのですが、実際は、もっといろいろコルビジェや田園都市などのことも含めて沢山のことが書いてあります。このJacobsの考えは、渋谷や新宿の中心地で人が多過ぎるところには通用しませんが、ある程度に顔の見える地域社会のサイズであれば、このことはとても有効な考え方だと思います。
商業集積を行うことで、購買という側面で企業と消費者に効率化をもたらしますが、その一方で失う役割や機能もあるということですね。Jacobsの時代とは生活そのものが異なる大型店舗の時代の地域社会のあり方は、果たしてどのようなものがいいのでしょうか!?また、教育機現場としての地域社会はどのようなものであるべきなのでしょうか!?教育学だけでなく、社会学や都市計画や経済学などなどさまざまな分野を横断的に考える必要があると思います。このことも自分の意見をまとめなければならない課題です。
2006年04月15日
意見の検証の重要性とネットを使った討論(フランスの学生の意見から)
CPEに関することをネットで調べていましたら、フランスに留学されているフランス!フランス!フランス!さんのブログに辿り着きまして、勉強させて頂いております。今回、フランス!フランス!フランス!さんのブログの中で、ある一人の大学生の意見に関して、思うことがあったので引用をさせて頂き、エントリーを書いてみました。若干学生の意見に批判的だと捉えられるかもしれません。しかし、正しい認識をする上で、イメージで判断する危険性があると思いました。これから自分も自分のイメージで話をしますが、イメージを検証する行為が必要であると最終的には主張したいのです。
ただし、ご注意頂きたいのは、あくまでも一人のフランス人の学生さんの意見で、特に社会主義思想の政党の影響を受けている学生さんだそうです。したがって、フランスの学生を代表する意見ではないということです。この点、誤解のなきようよろしくお願い致します。
フランス!フランス!フランス!さんのエントリーからの引用
「(しばし、遠い目)。個人的には、現在、政府が進めてる民営化を食い止めるべきだと思う。資本主義は、貧富の差を広げるだけだから。大学も、資本主義が始まってるけど、本当に、危険だよ。このままじゃ、高いお金を払わないと、認められる資格が取れなくなるようになる。そうしたら、貧しい家の子供は、どんなに頭がよくても、将来を約束されたレベルの高い大学には入れなくなるんだよ!」
資本主義が貧富の差を広げたかについては、計量的に分析する際には、いろいろな尺度や計量の仕方があって、格差が広がったという見方とむしろ貧困層の生活が向上し、格差は縮まったとする両方の見方があるようで、真実を捉えづらい気がします。
以下は私のイメージであって、一部の人から聞いた話です。正確な統計によって検証をすべきものであります。上記に引用した学生も私も、自分たちの意見の検証を行っていないという点については、同様であります。
資本主義とはいえないパキスタンで2000年における私の印象
単純労働者、ジュニアエンジニア、エンジニア、マネージャーと階層が
分かれていて、収入も違い、収入によって教育に格差が出ていたようでした。
単純労働者は月収5,000~10,000円程度で子どもの数も多い。子どもは学校に
フルタイムで行けず、働いていました。単純労働者の子は単純労働者に、
階層を突き破ることができない固定化した社会のようでした。
中東のカタール
首長国いわゆる王制で、民主化の途中ですが、一部の人にかなりの富が
集中しています。しかし、教育は無料で多くの若者が高等教育を受ける
機会を得ることができます。株式市場は最近できました。
先進国アメリカとフランスの比較(文部科学省の資料より)
・後期中等教育(高校)への進学率は
アメリカ 88.6%(2000年)
フランス 88.0%(2002年) 定時制・通信制を含めると97.3%
・25~64歳の人の最終学歴が後期中等教育(高校)未満の人は
アメリカ 13%
フランス 35%
つまりここで私が言いたいのは、資本主義になることによって貧しい子どもがレベルの高い教育を受けられなくなるのではなく、教育の制度が教育を受ける機会を決めているのではないかということです。当然教育にはお金が掛かるのですが、奨学金制度などを充実させることや、教育費の公的負担など、あるいは貧しい世帯への保護など、貧富の差に関係なく勉強できる体制を作ることが大切なのではないかと思うのです。
学生が捉えたようにイメージで物事を考えがちですが、意外とそれは幻想というようなことも多いです。自分が懸念を持ったりすることはある種の仮説ですから、それは良いことだと思います。しかし、それが正しいと結論づける前に、注意深く観察し自分なりに検証することが必要なのではないかと思います。
実は、このことはフランスの今回のCPE関連の騒動で、いろんな情報を見聞きする中で、自分自身こそが反省したことです。情報を正しく分析し、考える力を養う必要性を自分の体験を通して感じました。インターネットの世界には正しい間違いにかかわらず、情報が溢れている時代です。そんな時代だからこそ、教育の中でも見極める力、検証する姿勢を養うことが必須だと思います。
また、今回の件に関して、フランス、日本、アメリカの学生とビジネスマンでディスカッションする機会をできたらいいなと思いました。ブロードバンドの時代の今日だからこそ、その技術を利用して、テレビカンファレンスなどが可能ではないかと思います。そんな番組ができたら、とても価値があると思うし、それなりに視聴率が取れると思うのでスポンサーもつくのではないでしょうか!?どうかテレビ局の人やあるいはインターネット関連会社の人がトライしてもらえないでしょうか!?自分はアイデアはありますが、なんせお金が無くて・・・・(T_T)
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2006年04月13日
個性重視の程度
最近では、個性を重視する教育というと諸手に賛成という傾向が強いと感じることが多いです。個性を重視する教育が必要という人が増えている気がします。残念ながらこの手の統計資料が手元にありません。昨日の教育方法という講義でのディスカッションでも、個性を重視した教育が大切という意見が殆どでした。
そうした時に、個性とは何か?個性とはどういう場所や場面で発揮されるものなのか?ということを考える必要があると思います。個性はどの程度重視するべきなのでしょうか!?個性と集団の協調。何事もバランスが大切なのかもしれません。ではそのバランスを何処で保つべきなのか?この点についても明確な自分の考えが確立されていません。ただ、我が儘と個性をはき違えないことも大切だと思っています。
夏目漱石や永井荷風が体験して感じた欧米の個人主義と日本の個人主義は少し違うような気がします。
参考文献
私の個人主義 夏目漱石 講談社学術文庫
2006年04月08日
卒業単位?それとも興味?
夢は学校経営ですが、小学校と高校地理歴史の免許を取ろうと思っています。高校は前の大学の単位が幾らか使えるので、0から取るよりは取り易くなっています。教育学科は教職科目が卒業単位にも使えるものが大半なので、卒業単位の取得はそれほど難しくありません。問題は、小学校と高校の免許のために必要な単位をきちんと取ること。しかし、時間割は全部私のためにできている訳では有りません。取りたい科目が重なっていたり、前期に取りたい科目があっても、後期に取りたい科目がなかったりと一筋縄にはいきません。
そんな中、実は興味の無い教職科目と、天文学、物理学、生命科学、気象学、論理学など教職に関連しないけど魅力的な科目がぶつかった時に、迷ってしまっています。締め切りはまだまだですが、ひとまず今年度は教職優先して、全単位取得の見通しがついてから他の科目を取るのがベターでしょうね。でも、天文学やりたい・・・
2006年04月05日
座れなければ学べない!?
明日は新学期のオリエンテーションだというのに、腰痛のため椅子に座れない状況になり、一日中寝ていました。今も寝転びながらエントリーを作成しています。講義は90分です。座れなければ講義にも出れません。歳ですね・・・
継続的な学習を続けるためにも、健康管理が大切です。スタートで躓く訳にはいきませんので、何とか嫌いな鎮痛剤を飲んででも座れるようにしなければなりません。できるでしょうか!?そういえば寝転んだりして授業を受けられる小学校があったような気がします。うちの大学はそうはいかないようですが・・・
2006年04月03日
経験して学ぶ
昨日は花見をやりました。70人位参加者があったようです。多国籍で、外国籍の連中も20〜30人位参加してました!近所のお店の共同主催で、毎年恒例の大宴会です。自分も料理を作ったりとお手伝いです。ベーコンチャウダーやトマトスープ、羊、サラダ、お握り、きんぴら、ソーセージ、混ぜご飯、ナン&カリーなど大量に沢山用意しました。
後半は予報の通り土砂降りになったので、覚悟のずぶ濡れでしたが、素早くきれいな撤収ができました。酔っ払い達は素晴しい振る舞いで、ゴミ片付けなども最初から分別してしっかりできました。後を汚さぬきれいな酔っ払い達です。
この手の宴会イベントやロックフェスのお店の出店などで、相当みんな会場設営や準備、会費徴収まで、野外の宴会の運営に慣れて来てました。最近では余裕もあるし、いろんな機転がきくようになっています。無駄なお金も掛からなくもできています。共同作業の中で、失敗もして、喧嘩もしながら、役割分担できたり、先を見越して用意したり、不足の事態への対応力がチームとしてついてきているなと感じます。
産業革命は知識を集約して普及させたという成果があったと思います。(むしろそのことが産業革命を実現させたともいえると思っていますが)そこのとにより、本で勉強することができるようになり、飛躍的な技術の進歩が実現されたと考えています。ただ、昨日は机上の勉強ではない、経験という古くからある学習を通して、学びそして身に付いたということを実感した一日でした。
2006年03月31日
背景を知るとまた見方が変わるということについて
フランスのデモに関して、その背景となっているフランスの雇用状況やCPEの内容について、実は知らないことばかりでした。フランスには大企業を中心に、一端採用すると終身雇用となるCDIというものがあったり、労働者を手厚く保護する様々な制度があるようです。現実として高い失業率もあるそうです。結局、もう少し勉強しないといけないようです。
人のせいにすることが得意な私は勉強不足の原因を、同じニュースを繰り返しながすだけでなく、ニュースの背景なども解説して欲しいとメディアのせいにしておきます。(苦笑
兎も角、フランスのことはフランス人が決めること。我々としてはフランスの制度などを研究して、日本の雇用制度にいいところは活かしていくことが必要なんでしょうね。
参考にさせて頂いた方々のURL
フランスってさん:CPEに関してだけでなく、前後のエントリーも参考になります。
iFinderさん:個人でやってらっしゃるのかわかりませんが参考になりました。
〜フランス*よしなしごと〜さん:現地で感じてらっしゃること、参考になります。
2006年03月30日
できる脳!?
ちょっと気になる記事がありました。
中國新聞ニュース:デキる脳は発達の仕方に差
いろんなことが解明されてきます。特に脳の分野の研究は日に日に進んでいるようです。知能指数(IQ)の解明から更に、30代過ぎてもIQが上がる方法を考え出して欲しいものです。
2006年03月19日
漫画は活用できるはず
「量的緩和」という詞が最近新聞やニュースで聞かれるようになりました。経済や経営にも興味があって、時々関連する本を読みますが、日本の発達した漫画をもっと活用したらどうかと思います。興味を持つ入り口として漫画はとても有効だと感じています。その意味でも石ノ森章太郎の『面白いほどよくわかる日本経済入門 日本銀行編』はとてもわかり易い本です。このシリーズの他の本もわかり易い本です。
私が歴史が好きで、小学生の頃に漫画で描いた日本の歴史の本をよく読んでました。近所の公民館に北条早雲や斎藤道三の漫画があって、読んだらとても面白く夢中になっていました。そこからまんが日本の歴史シリーズなどを読んでいました。面白くなったので更に詳しく知りたくなったので、より詳しい本へとつながっていきました。
わかり易いという点で、漫画は読み手のことをよく考えたいいプレゼンテーションをしていると思います。自分の文章力の無さは棚に置いておきますが、読み手にわかり易い本を作ることもとっても大切ではないでしょうか。私の能力では難解な学術書が多い過ぎるのです。
勉強になるお薦めの漫画
石ノ森章太郎のマンガ日本経済入門シリーズ
小学館まんが「日本の歴史」シリーズ
横山光輝の「史記」シリーズ
2006年03月02日
誰が高校生の意欲を削いだのか
日中韓米の高校生の意識調査のニュースが昨晩出ました。勉強離れが進んでいるということと、意欲の低下が指摘されています。一方で大衆文化やファッション、携帯電話などへの関心が高いそうです。
この結果が正しいと仮定した場合、私は危機感を覚えると同時に、高校生に共感してしまうところがあります。これは教育の責任だけではないと思います。むしろ、子どもは大人の姿に将来を投影して見ます。大人が生きている社会に、自分を映して見た時に、そこに希望を見出すことができなくなっているのではないでしょうか。また、大衆文化云々に関しては、結局企業が消費者として高校生や中学生を捉えており、プロモーション活動を進めている訳で、消費社会にどっぷりと漬かるようにしたのは、これも大人社会であると思います。私はこの現象がいいことだとは思えません。
どうすれば、子どもたちが希望や意欲を持てる社会になるのか。我々大人が考えていかなければなりません。この国には希望を無くして自ら命を絶つ人が3万人もいます。子どもも大人も希望を持てる社会にするにはどうすればいいのかを真剣に考えなければならない時期に来ています。
ただ、高校生でも希望を持って生きている子も多くいるはずで、意欲の無い高校生と結論づけて大人が勝手に高校生に期待しなくなってはならないと思います。
*この調査に関するニュースは各新聞社などで書き方が異なっています。この点にも注目をしてもらいたいと思います。全体的にネガティヴなトーンでのニュースが多いかと思います。是非下に示しましたPDFの調査結果をご覧になって、ご自身で感じて考えてみて下さい!例えば子どもの成績への関心の有無や褒められるか否かなど、興味深い結果が出ています。またサンプリング数に関しても足りないような気がします。
日中韓米の高校生の意識調査のニュース
Yomiuri Online:日本は「できる生徒」より「人気者」
Asahi.com:日本の高校生は意欲足りない
Yahoo!ニュース:日本の高校生は希望無く、悩みも無く
意識調査をした財団法人日本青少年研究所関連
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2006年02月13日
子どもの目 育ての心より
ピカソの絵の抽象画は、大人よりも子どもが見た時の方が反応が大きいと聞いたことがあります。掛かる固定観念など無しで子どもはものを見る力があります。それは正直で、正直であるがゆえに時に残酷であることもあります。日本の初等教育に大きな貢献をした倉橋惣三はこんな風に書いています。
「子どもの目」
いつも真正面から、真直ぐに相手を見る目。いつもあからさまに自分をさらけ出して、心の隅まで隠すところのない目。
いつも一ぱいに見開いて、しっかり物そのものを見詰める目。いつも新鮮さに冴えて興味の心に輝く目。
いつも柔らかいなつかし味を湛えている目。人の心の明るさを受けて明るく、自らもまた容易に、相手の心の中に溶けてゆこうとする目。
それよりもなお、なんという清さに澄んでいることぞ。曇りもなく、濁りもなく、たとえばこの頃の澄んだ空の清さを、そのまま人界に落とし来たったような目。
それが子どもの目である。
『育ての心』より 倉橋惣三 フレーベル新書
そんな子どもの前に、大人はどんな態度をとったらいいのでしょうか。子どもの前に出る大人の言動を考えると共に、自分も子どもの頃はそのような目を持っていたはずなのに、などと『育ての心』を読み返しながら改めて考えさせられました。