2006年07月20日
また教師の不祥事
よく考えればわかることだと思うのですが、なぜこういうことが起きるのでしょうか。生徒との距離を縮めることができると一瞬思ってしまうかもしれませんね。自分もろくでもない生活態度ですが、教師として真面目に自分を律して日々過ごしている教師の方々が可哀想だなと思ってしまいます。
自身の下半身画像を生徒に送った教師:MSN毎日ニュース
2006年06月03日
お話にならない教員の犯罪
全く、学校への信頼を無くすことを起こすものですね。情けない話です。教員だけでなく、警察官の犯罪もよく報道されます。人の手本になったり、犯罪を取り締まったりする人間が犯罪を犯す。最悪です。
犯罪を犯す教員を無くすには、何をすればいいのでしょう。教師自身が定期的にカウンセリングを受けるようなシステムを作ることも必要かもしれません。
中学教諭がバザーの金盗む:読売新聞
2006年05月10日
可能性を開くこと
今、図画工作といった科目も履修していますが、下手な作品を人目に晒すのが不安だったりします。もともと芸術的なセンスが無い、不器用だと思っていて、実はそれがコンプレックスだったりします。ことの発端は、小学校2年生の版画。小学校1年生の時は、版画で入賞したのですが、それに気をよくしたのか、同じのを彫ればまた入賞すると思ったのか、ものぐさなのか、忘れましたが、同じようなものを彫ったんです。そうしたら、今度は入選だったんです。前よりランクが落ちてしまったんです。どうして去年は入賞で、今年は入選で格下げなんだ!?と何だかとても悲しくなった記憶があります。
そして、小学校の時に図画工作で2という評点をもらったんです。それがとてもショックで、自分は絵のセンスも無い。手先を使う類いの芸術はダメなんだと思い込んでしまった気がします。家族からも「お前はお父さんに似て不器用」と言われたりもしました。まあ先生や家族のせいだけでは無いですが、自分自身でも可能性をそこで閉じてしまったような気がします。
現在履修している図画工作の時間に直線だけや曲線だけで表現するという構図と色彩構成の勉強のためのデザインをしているのですが、「アイデアにオリジナリティがあってこれとこれなんかいいね!ディテールを詰めてみなさい!」と言われ、これでいいのかな〜。自分はセンスが無いから恥ずかしいな〜と思っていたところに、ずばりと背中を押してくれました。先生の一言って大きいなと思った瞬間でした。
2006年04月30日
教師の考えを学生はどこまで受け入れるのか!?
先週の講義で、ある政党を批判をする先生。私は選挙には欠かさず行きますが、特定の支持政党を持ちません。また、結構歳をとってるのでいろんな経験から、特に政治的なことで人が言ったことをそのまま鵜呑みにすることはありません。人に何かを教える際に、人の考えが反映されてしまうことは、致し方ありませんが、正しい筋道の通った論理で教えないと、若い人はそのまま飲み込んでしまうのではないかと心配になります。客観的に教えるべきだという人もいるでしょうが、客観だと主観的に判断する訳だから、客観なんてものあるかい!と理屈を捏ねてしまいます。
最初の大学の経済学の必修科目で、バリバリのマルクス主義の先生が教えてました。なんてったて教科書が、1970年代にモスクワ大学で書かれた本を翻訳したものでしたから・・・
可能性のある学生を政治的な色づけをするのではなく、何が問題であるか根拠を示したり、問題だと思われることがどのような影響を具体的に与えているかを正しい論理とデータで示さなければいけないのではないかと思います。さじ加減難しい問題ではあります。
2006年04月12日
教師論初回
今年は教師論の講義を取るのですが、2人の担当の先生がいます。どちらの講義を取るか迷っています。一人の先生の初回の講義はなかなかのものでした。
<教師に求められる基本的な資質と能力>
1.教育者としての使命感
2.人間の成長・発達についての深い理解
3.幼児・児童・生徒に対する深い教育的愛情
4.教科等における専門的知識
5.広く豊かな教養
6.これらを基盤とした実践的な指導力
自分を指導してくれた先生方は果たして当てはまっているでしょうか?そして、自分こそ、ここに挙げた資質と能力を持っているのか?今は未だ私には全て備わっておりません。
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2005年12月16日
教師への心のケア
先生の「心の病」、過去最多3559人という記事。興味深いです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051214-00000014-yom-soci
常々、教える側である教師や学校は批判の矢面に立たされます。しかし、教師も一人の人間であることは事実です。日々、個性豊かな生徒のことを考えなければならないプレッシャー、聖職者というレッテル・象徴を維持しなければならないプレッシャー、我が子のことだから当然ですが口うるさい保護者への対応、学校内のこと、様々なことに対応していかなければなりません。しかしながら、教師のコンディションについてあまりこれまで注目されなかったのではないかと感じます。
これまでは、同僚や上司がよき相談相手や理解者であったかもしれませんが、現在果たしてそれらは機能しているのか?よく考えることが必要ではないでしょうか。よい教師の精神的なコンディションを整えることも、良い教育の一つの前提条件であると思います。それは校長の役割であったり、管理職、教育委員会などの役割かもしれません(もう少しよく勉強してみますが・・・)。きっと現実には何らかの対応がされているのでしょう。しかし、今回の記事にあるよう、教師の心の病は増えています。教師の心のケアにはなかなか理解や予算がつき難いかとは思いますが、より一層カウンセリングなどの強化、そのための人員増強などの対応が必要ではないかと思います。よい教育を子どもに受けてもらうためにも、教える側への心のケアについても配慮していく必要があると思います。
蛇足ですが、同じようなことは、日々死に直面する看護婦にも言えると思います。特にガンや脳神経、緊急救命、循環器などで働く病院スタッフへのカウンセリングも必要でしょう。死が日常化することによる感覚の麻痺が起きたりしていないでしょうか?潜在的に貯められたストレスの発散が適度に行われているのでしょうか?仕事のミスは人の命にもつながります。いいコンディションで医療が行われるためにも、医療の中味の検討と同時に医療をする側の心のケアにも目を向ける必要があるのではないかと思っています。
2005年11月12日
講義の仕方
実は大学に入って感じたこと。それは、講義の仕方が10数年前とそれほど変わっていなかったことです。大きな教室で、一方的に話す先生。大きな項目を10個だけ箇条書きにした講義資料。パワーポイントが導入されたことにより、むしろ学生のノートの取る速度を無視した早さで講義が進んで行くことが増えているようです。
結果として、ノートを取ることに精一杯であったり、喋り続ける先生の話が念仏のように聞こえ催眠術にかかってしまう学生達。講義中で考え、理解するという作業を行うことのできない講義がとても多いです。教育学部でありながらこの講義内容かと正直がっかりしました。日本全国の大学でも同じような状況なのではないでしょうか。先生方には大変失礼かもしれませんが、大学の先生がプレゼンテーションを民間企業の立場でやったら、恐らく大半の先生がプレゼンテーションを成功させられないでしょう。民間企業のプレゼンでは、何を伝えたいのか、何が大切で、何が自社のアドバンテージで、クライアントへ提供できるメリットは何なのか、分かり易く短時間でクライアントに伝えなければなりません。恐らくプレゼンテーション能力に関しては民間企業の方々が、大学の先生方より断然優れているのではないかと思っています。講義はある意味毎回プレゼンテーションです。生徒に分かり易く理解させなければなりません。教壇に立つ以上、そのことが意識され、実行されなければならないでしょう。暗記するだけの勉強なら、この本を読むようにと指示するだけでいい訳です。講義中に頭を使わせ、理解させる。そして疑問点や理解不足のところがあれば解決する。そして深く研究する課題を見つけさせる。講義はいつも創造的で建設的でなければなりません。念仏を唱えるような講義をするのなら、念仏をメモにして配布するだけでいいのではないでしょうか?1コマあたりの授業料で良書を1冊購入可能です。
私が感じたことと同じようなことを今年大学に入学した10代の同級生も言っていました。彼女は少し大学に失望してしまったそうです。
大学はもっと改革をしなければなりません。ドラッカーも言っているように知識労働の社会に変化してきています。そのような社会においてこそ、教育というものが確実な先行投資となるのではないでしょうか。そのような投資効率をより上げるという意味からも、大学はもっと変わるべきでしょう。この点については経営学部などでは先生方も高い意識と危機感を持っているかもしれません。学生も含めた改革が必要な時です。
P.F.ドラッカー『ネクスト・ソサエティー』ダイヤモンド社
2005年10月28日
教師になるには社会経験がどれだけ必要なのか?
教育心理学という講義を受けています。その中でいじめについて勉強していますが、いじめが起きた際の教師の対応の中に、相談を受けて解決するということがあります。デリケートな時期の児童や生徒に対して相手のことを理解してあげ、どのように対応するか難しいところです。
新任の先生が担任をすぐに承けもつ訳ではないですが、人の相談にのったり人を理解するということは、ある程度の人生の中で成功体験や挫折葛藤と様々なことを経験することによってできるという面があると思います。大学を卒業したばかりの頃の自分とあれから十数年経った自分とを比べた時に微小ながら成長の跡がみられます。当時より少しはましな対応ができると思います。
しかしながら、一方で18や19歳の同級生とディスカッションする中で、自分とは違う視点やその世代との感覚の違いを感じて、目から鱗ということもしばしばあります。子どもと近い感覚はむしろ若い人の方が理解できている可能性も高いです。特に30代ともなると固まったある種のフィルターを通して物事を見てしまう傾向があります。とすればむしろ経験を持っている方が子どもの気持ちを理解しずらい状況にいるとも考えられます。
その意味では専門のカウンセラーなどの協力を仰いでいくのが最も良いのかもしれません。しかし、教師自体が人間力というか相手を理解する力を持たなければ子どもとの信頼関係を築くこともできないでしょう。年齢よりも相手を理解する力が一番大切かもしれません。ただ果たしてその力をどう身につけるかそれも重要な問題であります。