2007年08月17日
最良の道徳・徳育とは
先日、あるテレビ番組で今の政治家の姿は子どもの教育に悪いと言っていた人がいました。その通りだと思います。大人の姿こそが、最良の道徳や徳育の教材なのではないでしょうか。自分も恥じない生き方をしたいと思いますが、まだまだ修行が必要です。
道徳とか徳育については、昔から変わらないのですが、なぜそうすることが必要なのかという根本を教えないといけないのではないかと思います。ただ、○○はしてはいけないという絶対的な戒律のようなものも必要だと思います。しかし、海外で「○○してはいけない」ということをただ盲目的に信じている人と接した時に、それでは指導者の意向に多くの人が流されてしまう危険を感じました。何事もバランスなのかもしれません。
2006年09月30日
大学生を規則に従わせるために1万円って本気ですか!?
ちょっと信じられないようなニュースですね。大学の規則として、茶髪とピアスを禁止するということで、やめれば現金1万円をくれて、やめなければ懲戒するということを秋田の大学がするようです。
なんでも「学生の頭髪・装身具に関する要綱」を制定し、男女とも、頭髪について「周囲に不快感を与える特異な髪形、染色、脱色は禁止」、アクセサリー類も「華美を避け、品位を保ち、ピアスは禁止」と明記しているそうです。
そして、指導に応じて改めた学生には褒賞金1万円が付いた学長賞を贈って、従わない学生は教授会にかけて懲戒するそうです。これって教育なのかよ!?と正直あきれます。
私が思うのは三つです。
1)お金を使ってルールを守らせるというのはおかしい?
大学での教育として妥当ではない。
この大学には法学部があるそうですが、法学部でも法律の
意義などについて、どのように教えているのだろう。
法律を守るにはお金を与えなければならないの??
2)「周囲に不快感を与える特異」「華美」「品位」について
それがどういうもので、どういう基準であるべきかという
説明や話し合いをするべきではないか。ただし、これは
在校生のみ。新入生に対しては、本校はこう考えている
ので、このことに関しては禁止ですと明示しておけばいい。
大学のルールを明示した上で、入学を募り、入学後ルールを
守れない人間は罰や退学処分を受けてもしようがない。
3)入学後このルールに変わるのであれば、在校生には移行
期間を設けるべきではないのか?
まあ私の学校ではないので私には直接関係ないのですが、このような措置は教育全般に影響することなので関心があります。こういうことをするから教える側が悪いと言われるのではないでしょうか。
学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万:Yahoo!読売新聞ニュース
2006年09月29日
学校の教材に不倫を題材にしたものはOKか!?
ある中学校で、不倫を題材にした小説から国語の問題が出題されたということを授業で聞きました。先生は、現実社会に存在していることを子ども自身も認識しなければならないという観点から、それは必要なことだろうと仰ってました。現実、世の中で起きていることであることを子どもたちは、テレビなどを通して既に知っているでしょう。
不倫が報じられると政治家や芸能人は、マスコミに叩かれます。時には辞任したりと大きな騒ぎになることもあります。しかし、一方で不倫を題材にした文学作品が純愛だとして、もてはやす報道があったり、ドラマや映画になることもあります。
一元的な善悪の基準による勧善懲悪でなく、現実に起こる出来事からそれを感じ取る人が善悪を決めていい、というのも現代の特長のように思える時もあります。それが自由な社会であって、個人主義の時代の価値観の決め方であるようにも思えます。しかし、それでいいのか!?という疑問も私の中に残っています。残念ながら、私には今、この場でOKかどうかの是非を述べることができません。
2006年08月31日
最近の事件、ゲームのせいなのか?倫理教育のせいなのか?
最近、ご存知の通り未成年が加害者であったり被害者となり、犯罪の主役となるケースが増えてきています。一部では、これをゲームのせいとする向きもあるそうですが、果たしてそれが原因なのか?未だにはっきりした関連性を示す証拠はありません。個人的には影響はあると思いますが、それは結局ゲーム自体が問題なのではなく、倫理の欠如が問題なのではないかと思います。
「人は殺してはならない」そういうことをきちんと家庭で教えていないのではないかと思います。大体殺人の理由というものは、身勝手な理由が多いように思えます。他者や廻りや環境を尊重しない自己中心的な人が増えてきたのかもしれません。
個人的な印象として、例えば時代劇などでも正義に属する主役も、結構人を殺します。暴れん坊将軍も自分では手を下しませんが、お庭番に「成敗!」と言って切らせます。ハリウッドのアクション映画もどんどん殺しのシーンが出て来ます。我々の廻りには、そんな殺しのイメージが溢れています。その一方で、現実の死は、斎場やメモリアルホールで通夜や告別式が行われるようになり、遠ざけられています。
他人や生き物の命を奪ってはいけないんだ!ということは、最低限の社会全体のコンセンサスにしたいものです。そして、それは幼少からみっちりと教えられるべきだと思います。
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2006年07月12日
「殺すぞ!」が普通の言葉
大学のカフェテリアで廻りから聞こえて来る会話。普段は人の話とかは余程大きな声で話している声や耳障りな声じゃないと聞こえてこないのですが、昨日はびっくりする言葉が聞こえてきました。「殺すぞ!」の連発です。笑いながら「お前ふざけんな。殺すぞ!」これは普通の会話でなされている訳なんですが、確かに自分も昔、若い頃には使っていた気がします。しかし、中学かせいぜい高校まで。大学生になってもこんな言葉を喧嘩の時でもなければ、日常で普通に使った記憶はありません。でも、よく考えたら怖いです。「殺す」という言葉が普通に、日常的に使われている。
「殺す」という言葉を禁忌にするつもりがある訳ではありません。ただ、やはりその言葉の意味を考えて使わなければならないのではないかということです。自分も気をつけようと思いました。それと同時に言葉の意味や重さを教えることが必要なのではないかと考えさせられました。
投稿者 Bab : 22:16 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月30日
子猫をビニール袋に入れて捨てる非道
友人から子猫の里親を探してくれとのメールが来ました。何でも生後3、4日位だろうと思われる子猫がコンビニの袋に3匹詰め込まれ、袋の口を結ばれた状態で捨てられていたそうです。どうしてそういうことができるんでしょうね!?ものじゃないのに・・・
自分はペット禁止のマンションなので、飼ってあげることができません。だから、全く力になってあげることができないから、大きなことを言える立場ではないかもしれませんが、心を持った人であって欲しいと思います。凄く凄く優しくなくていいから、少なくとも、生き物や他人の命を物のように扱ったり、軽んじてもらいたくないです。そんな人の世の中であって欲しい。
2006年03月29日
作品の内容と作者の人格どちらを優先するべきか!?
近頃私は、誕生日プレゼントに本を贈ることが多いです。昨日も友人の誕生日だったんですが、『リトル・トリー』をプレゼントしました。実はこの本については、作者のフォレスト・カーターがアメリカの極右の白人至上主義団体のメンバーだったということをあるネットで見たので、本当かどうかアメリカにいる友人に調べてもらいました。友人からは、確かに彼はそのメンバーだったという連絡が来て、いい内容の本だけにとてもがっかりしました。それ以来、『リトル・トリー』は私のプレゼントしたい本のリストから外れたのですが、昨日再びプレゼントすることにしました。
理由は作品としていいものだからです。私も、人種差別は許せません。また、この作品はチェロキーの人々の描写などで不正確なものもあるとされています。しかし、私はそれでも作品の全体の良さは変わらないと思います。
文学や芸術の作品は、世に出されることにより作者の手を離れ一人歩きします。しかし、作品をより深く理解するには作者の置かれた環境などまで立ち戻ることが必要とされることがあります。そして、事実として「優れた作品=素晴しい人格を持った作者」という訳ではないことに気付きます。
優れた文学や音楽や芸術作品と作者の人格のどちらを優先するべきか!?一つの判断を下した今でも、私は心の隅に引っ掛かるものがあります。
参考URL
フォレスト・カーター書籍書評
Native Heartさん:リトル・トリーがKKKの一員である作者が書いたと
知ったブログ
投稿者 Bab : 18:59 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月17日
連帯責任が正しいのか?
春の選抜高校野球に並び、春高バレーでも出場辞退。部員が移動中の船で窃盗をしたそうです。まずは反省するべき。ダメだよそんなことやっちゃあ!
MSN毎日ニュース:部員が窃盗で春高バレー出場辞退
このような問題が発生した場合、まず問題を起こした生徒は当然厳罰を受けるべきであって、その上、監督責任を取るのは先生ではないのか!?その際に、他の部員まで責任を取る必要があるのか?と感じます。例えば、部活云々関係ないところで、飲酒や窃盗を犯したとしてもその生徒が所属するクラス全部が停学になる訳でもないのに、こと部活になると連帯責任が発生する。何だかおかしい気がします。
しかし、私が思うのはそのことよりも、連帯責任を取らせることで問題を起こした生徒が更正して立派に大人になっていくのだろうか!?ということです。つまり、連帯責任にして出場辞退することで生まれる事態が更正に適した環境なのかということです。
結局それだけの大事をしでかしてしまって、他の部員達も大会に出場できなくなった場合は、簡単には他の部員も許してはくれないと思うのです。将来に渡ってお前のせいで云々と言われるでしょうし、言われて当然なのではないかと思うのです。悪いことをしたら当然大手を振ってあるけなくなるのが普通ですが、むしろ一生つきまとうこの出場辞退という事実が、かえって当事者を悪い方へと進めてしまうのではないかと思うのです。犯罪の責任は高校生ともなれば自分で取らなければならないものですが、部全体への責任など取り切れないものではないでしょうか。
私は、このようなケースにおいては責任を取るのは本人と担当の先生(部活の移動中であれば監督者たる監督または部長)とその上席の校長なりが取るべきではないかと思います。監督者は教育者でもある訳で、預かっている時点での責任があります。また、校長は学校の不祥事においてトップの教育者としての責任があります。そして、教育者であるならば、生徒が犯した罪に対して生徒を叱り、反省させ、監督責任を問われる生じた自らへの罰をも甘んじて受けて、更正をする生徒のために許せることができるのではないでしょうか。そして更正させることこそ監督や先生の教育者としての使命ではないでしょうか。少々甘過ぎるでしょうか!?
2006年03月13日
下着を送られたくない芸能人のアンケートについて
「ホワイトデーに下着を送られたくない芸能人」というものを下着会社がアンケートしているんですね。3年連続で送られたくない部門の1位は同じ人だったようです。お笑い芸人の人はそういうものに選ばれることが嬉しいという人もいるようですが、正直ご家族の方は大丈夫なんでしょうか!?と勝手に心配してしまいます。5位までに選ばれている方々の中には、奥さんがいらっしゃる方もいるんですけど大丈夫なんでしょうか?以前にはお子さんがいる方もいらっしたようです。しかし、これもお笑いをとる上で仕方がないことかもしれないと本人や家族の方は納得しているケースもあるでしょうね!?それが芸能人の宿命かもしれません。
極内輪の会話なら自分も似たような話を友人とすることもあります。でもメディアで取り上げる種類のアンケートや話題なのでしょうか!?自分もブログでの書き込みについてもう一度自分の今までも振り返ってみようと思います。
それにしても、学校でこのアンケートとれるのかな〜??学校でこれをやったら「いじめ」になるでしょうね。「大人がやっていいことは、学校でやってもいいのでしょ!?」「人気のテレビ番組で取り上げていた同じアンケートを文化祭でアンケートとっていい!?」ともし子どもに聞かれた時、自分だったらどう答えるべきか、ちょっと悩んでいます。
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2006年03月10日
『ちびくろ・さんぼ』を考える
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『ちびくろ・さんぼ』がその表現が差別的だということで廃刊になったと聞いていたのですが、どうやら復刻したようで、書店にあったので購入しました。私は、この本についてはトラのバターを塗って食べるホットケーキがとても美味しそうだったという印象しか持っていません。大人になった今、もう一度読み返し、いろんな意見を参考にして、問題があるのか無いのか、自分なりに考えてみようと思いました。
日常的に言葉は新しくできて、そして消えていきます。どのような表現が差別的あるかという線引きは、とても難しいものだと思います。表現の自由の問題と合わせて、まだ語れる程の意見を持ってはいないので、もっと勉強します。
『ちびくろさんぼ』関連書籍
『ちびくろさんぼ』関連書籍書評集
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2006年03月07日
赤信号みんなで渡れば・・・
最近、何歳からおばあちゃま、おじいちゃまとお呼びすればよいのか、なかなかわからないのであります。今晩、私ははっきりと外を眺めたくなかったので、眼鏡を外してぼんやりと見える風景を何だろう?あれかな!?と想像して一人遊びしながら歩いて新宿から帰って来ました。だから今晩見た人達がおばあちゃまかオバはんかは、そんな理由からもはっきりとはわからないのです。
家がほど近くなった五叉路で、信号が赤だったので私は立ち止まりました。すると反対側には、比較的こ綺麗にしているだろう雰囲気のおばあちゃま達が数名。私は頭をもたげて信号に目をやるとまだ他の信号が青、まだまだもうちょっとねと視線を前方に戻すと、おばあちゃま達がぞろぞろと信号無視して渡って来ました。すると青方向の道路からバイクが入って来ました。一人出少し遅れたおばあちゃまは踵を返して後戻り。何とか事故にならずホッとしました。
青になり、出遅れたおばあちゃまを横断歩道の半ばまでお迎えに行く別のおばあちゃま。私が彼女達を横目に通り過ぎた時、「あ〜いう時はみんなと一緒に行ってしまえばいいのよ!」と聞こえて来ました。「赤信号や!」と突っ込むことをせずにそのまま歩いて帰りました。
自分も赤信号を無視して渡ることもあります。一応子どもがいる前では赤信号でも渡らないというルールを作っていますが、本当は子どもが居ようが居まいが、ルール違反なんですよね。その意味では、おばあちゃま達と私も変わりません。でも今回は、「赤信号みんなで渡れば恐くない!」って考えてる人が本当にいるんだなと知り、驚きました。
*「おばあちゃま」という言葉は、辞書にも出ていない言葉なんですね。
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2006年02月16日
動物虐待事件を無くすために話をしましょう!
昨日のウサギの虐待事件をはじめとして、同じような事件が度々起きてきました。ではどうしたらこのような事件が無くなるのでしょうか?このような事件が起きた時に、犯人を非難するだけではなく、どうしたらこのような事件が無くなるのか、家族や友達とみんなが話さなければいけないと思います。学校や行政に任せているだけでは何も変わりません。みんなが知恵を絞って、良いアイディアがあったらそれを実行してみることによって変わっていくのではないでしょうか!?
今、小学校には生活科という教科があります。その内容の一つには、動物を飼育したりして、命の大切さを学ぶというものがあります。今、命の大切さまで学校で教えないといけない時代なんですね。家庭や地域が教育をする場として機能しなくなってきているということでしょうか。
景気を語ることと同じ位に、教育のことをみんなで語り合ったらいいと思うのです。資源のない我が国にとって、人財こそが財産だとよく言われます。そうであるならば、広く沢山の人が教育を考え、教育にかかわることこそ、最大の投資ではないかと思うのです。良い教育は良い世の中をつくると思うのです。その教育は学校という閉鎖・隔離された所で行われるだけでなく、至る所で行われるべきものではないでしょうか。