2006年02月11日
B.C.とA.D. 紀元前と紀元後
B.C.が紀元前、ADが紀元後ということは、ご存知の方が多いかと思います。イエス・キリストが生まれた年を基準にしているということになっていますが、実はイエス・キリストは紀元前4年あるいは紀元前8〜12年あたりに生まれたのではないかという説が有力だそうです。しかも0年という観念がなかったので、西暦0年はなかったそうです。
このB.C.とA.D.は
B.C.:Before Christ(英語)
A.D.:Anno Domini(ラテン語)
の略なんですよね。なぜか英語とラテン語を混ぜて使っているんだそうです。これは実は英語圏では通用するのですが、フランス語圏やスペイン語圏では使わないそうです。
ちなみにフランス語では下記の通り。
Apres Jésus-Christ = ap.J-C
Avant Jésus-Christ = av. J-C
大学の先生の説明によるとB.C.は年の後ろ、A.D.は前に使うのが正式だそうです。
1000 B.C. A.D.583
というのもBefore ChristのBeforeは前置詞で、Anno DominiのDominiは所有格だからだそうです。確かにこの先生、きちんと講義が終わるまでそのルールを守っていました。
最後に豆知識クイズ。これなんでしょう!?
5343 B.C. : ルネッサンス時代の人々
4004 B.C. : 17世紀のイギリス
3761 B.C. : ユダヤ
5509 B.C. : ロシア
2698 B.C. : 中国(黄帝紀元)
答えは↓
これはそれぞれの人々が世界はいつから始まったかということを示しています。各国や時代でいろんな考えがあるものです。日本では神道で神武天皇の開国が663 B.C.とされているはずですが、世界のはじまりの具体的な年の伝承はなかったかと思います。
2005年12月27日
士の勃興(2)
<士の勃興の背景>
(1)春秋時代前半までの国家
都市国家
国(都市部)
公(君主)、公族
貴族(卿、大夫)・庶人(農工商)=国人
鄙邑(ひゆう・地方部)
庶人(主に農民)=野人
この時代の国家を表している言葉
「国の大事は祭りと戦にあり」(「春秋左氏伝」)
↓
祭祀共同体・・・神や祖先をまつる儀式を共同で行う
軍事共同体・・・国人(都市部の貴族と庶人)は国を共同で防衛する
→鄙邑の野人は参戦権なし
=社会的地位が低い
(戦いに出れる力も無かったので地位も低かった)
つまり、春秋時代前半の国家は国(都市部)中心の国家
→鄙邑は付属的であった
(2)春秋時代後半の変化
a)貴族勢力の発展
貴族の収入は采邑からの収入(采邑:貴族が個人的に所有する邑)
↓そこで
采邑の経済発展を行う=貴族の経済力の強化
住民の私兵化=貴族の軍事力強化
↓
采邑の重要性が高まる=貴族の采邑への依存度が高まる
b)辺邑の発展
辺邑・・・軍事的要衝の邑、郊外
→城壁の建造をし、軍事的要塞化を計った
この流れから辺邑の住民である野人が兵士として参戦してゆくこととなった
=野人が参戦権を持った
→国人と同等の立場をとるようになった
まとめ
采邑の経済的発展
辺邑の軍事的重要性の高まりと野人の参戦
↓
野人と国人との対等化
↓
野人をまとめている有力野人の台頭="士"勢力の誕生
同時に起きたこと
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貴族の基盤強化が、結果として士の勃興を引き起こし、
自身の没落を招く結果となった。
以上のような内容を勉強したりしています。このところはおよそ1000年後の日本で起こった武士の台頭が起こった際と状況と似ています。
貴族はそれまで、政治勢力として考えていなかった野人、つまりは人として一段低く見ていた階層が、実力をつけて来たことの認識が遅れたのではないか。経済構造の変化、社会の変化を見抜けず権力の保持の仕組みを変えなかったためではないかと思います。当時の人間観というものが社会の変化とともに変わって来たのも一因ではないかと思います。
同じ文脈から、現代社会も社会構造の変化に対応した政治システムが必要な時期であるかもしれません。社会は社会はあまりにも大きく、早く変わって来ていると思うからです。大人社会の変化は、当然子どもの社会と教育の変化と繋がってもくるでしょう。
2005年12月23日
士の勃興(1)・・・春秋時代後期
昨晩は、外国史の講義がありました。外国史を一般教養の時間に終わらせることもできないので、テーマを絞っての講義になります。現在は中国古代史を勉強中です。時代は春秋時代後期、紀元前600〜500年あたりのお話です。
<士の勃興>
春秋時代の身分階層は
周王、諸候(公)、卿・大夫、士、庶人
という構造になっており、周王〜士までが支配階級でした。卿とか大夫というのは貴族階級ということになります。この時代に政治権力はより下層階級へと推移して行きます。
周王→諸候→貴族→士
このような状況を時の人、孔子はその著書『論語』でこう述べています。
孔子曰く「天下に正しい秩序のあるときは、礼楽・征伐(内政と外交)は
天使によって行われる。天下に正しい秩序が失われると、礼楽・征伐は諸候に
よって行われる。諸候が行うときは、およそ10代で政権を失うものだ。
貴族が行うときは、5代で政権を失うものだ。貴族の過信である陪臣が政治を
行うときは、およそ3代で失うものだ。天下に正しい秩序があれば。政権が
貴族に握られることはなく、天下に正しい秩序があれば、平民は政治の批判を
しない。」
諸候が政治を行うとき :10代で政権を失う
貴族が政治を行うとき : 5代で政権を失う
陪臣(士)が政治を行うとき : 3代で政権を失う
このように論語では記されており、当時孔子の生まれた国である魯ではまさに、士によるクーデターが起きていた頃でした。孔子はまさにこの時期に活躍した人で、紀元前551年に生まれ、紀元前479年に亡くなりました。孔子と言えば儒教の祖であり、彼自身が宋の王室の出であります。果たして孔子から見たら現代の民主主義の時代とはどのようなものなのでしょう。
士が台頭してきた例
魯の国の陽虎・・・李孫氏とよばれる貴族の家の家来
クーデターを起こし、3年間政権を握った。
しかし、その後敗北し国を追われる。
日本において武士が台頭してきたのが平安後期でした。中国ではおよそ1000年も前に、日本で言う武士の階級が力を握ることになります。当時はそれだけ中国が進んでいたということです。そう考えると何と中国の歴史は深さがあるのかとも思いますし、日本の発展というものが中国との1000年の差を埋めるだけ、急速であったと言えるかもしれません。
では士が勃興してきた背景というところも面白いところなので、2〜3日中に記したいと思っております。
参考文献
史記:ご存知、司馬遷の大作
史記(漫画):実は史記は膨大なので、漫画から入って行き、
興味をもったところから始めるのがいいと思っています。
中国春秋時代書評集
孔子関連図書書評集
参考URL
孔子:Wikipedia
春秋時代年表:正直年表を覚えてもどうかと思いますが、一応参考になるURLです。