夏休みの課題も終了しましたが、秋からはゼミ論の作成と卒論の準備に入らなければなりません。いよいよ大学らしくなってきました。その一方で、3年生向けの就職活動の情報がかなり出回り始めました。最初の大学の時は、4年生の4月から就職活動を始めましたが、随分と早くなっている印象があります。
教育基本法の改正もいいけど、こういうサービスの一定の制限ってできないものですかね。やっぱり自由市場というのは高い倫理観の下でこそ運営すべきなのでしょうか!?倫理観というのも最早変わって来ているし、一つじゃない時代なのかもしれませんけれどね。
親も子供も宿題丸投げ いま代行業者繁盛:Yahoo!ニュース
そんな中、今週ドイツ人でアメリカで哲学を学んでいる人とその彼女でルソーを研究した香港人の人と飲む機会がありました。ルソーやカント、ペスタロッチ、フレーベルの話を少ししてみました。ルソーは子どもを育てたことが無いのにエミールなんていう理論を作った!奴は天才か!?それとも!?なんて軽い話で盛り上がりましたが、折角そういう人と知り合いになれたので、是非またもっと突っ込んだ教育学や哲学者の話をしてみたいと思います。日本での評価だけでなく、現地や海外でのその人物の捉え方などを知る機会はとてもいいものだと考えています。
うちは親が忙しかったので、いつも友達の家族と一緒に海に行っていました。親と一緒に行った記憶がありません。まあ仕方が無いと思っていたかもしれません。そんなように記憶しています。
この夏、子どもたちはどんな経験をして、感動したんでしょう!?夏休みは親御さんの家庭教育や家族環境の影響が大きく子どもに現れるんでしょうね。
生徒指導とは
「一人一人の生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能力・態度を育成し、さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり、個々
の生徒の自己指導能力の育成を目指すものである。」
『生徒指導の手引き』1981文部省
つまり、
個性の育成と公共の概念の教育
↓
個人と公共とのバランスをどうとるかということを指導する
ex.服装検査、遅刻チェックなど
進路指導は次ぎのような6つの段階があるとされています。
1. 自己を理解させる ← 最も重要なポイント
2. 進路指導を得る
3. 啓発的経験
4. 進路相談
5. 就職・進学の援助活動
6. 卒業生の追指導
このようなことは、教育相談という科目で学習します。
道徳とか徳育については、昔から変わらないのですが、なぜそうすることが必要なのかという根本を教えないといけないのではないかと思います。ただ、○○はしてはいけないという絶対的な戒律のようなものも必要だと思います。しかし、海外で「○○してはいけない」ということをただ盲目的に信じている人と接した時に、それでは指導者の意向に多くの人が流されてしまう危険を感じました。何事もバランスなのかもしれません。
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そんな訳で、教育学的なカテゴリーで、家族や親子関係に関する書籍で山田昌弘氏の著作を紹介致します。これは教育学概論で参考図書として挙げられていたものです。
『家族本40―歴史をたどることで危機の本質が見えてくる 』(Best Selection)
『パラサイト・シングルの時代 』(ちくま新書)
『近代家族のゆくえ―家族と愛情のパラドックス』
『家族というリスク』
山田昌弘書籍書評
私が思うのは三つです。
1)お金を使ってルールを守らせるというのはおかしい?
大学での教育として妥当ではない。
この大学には法学部があるそうですが、法学部でも法律の
意義などについて、どのように教えているのだろう。
法律を守るにはお金を与えなければならないの??
2)「周囲に不快感を与える特異」「華美」「品位」について
それがどういうもので、どういう基準であるべきかという
説明や話し合いをするべきではないか。ただし、これは
在校生のみ。新入生に対しては、本校はこう考えている
ので、このことに関しては禁止ですと明示しておけばいい。
大学のルールを明示した上で、入学を募り、入学後ルールを
守れない人間は罰や退学処分を受けてもしようがない。
3)入学後このルールに変わるのであれば、在校生には移行
期間を設けるべきではないのか?
まあ私の学校ではないので私には直接関係ないのですが、このような措置は教育全般に影響することなので関心があります。こういうことをするから教える側が悪いと言われるのではないでしょうか。
学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万:Yahoo!読売新聞ニュース
小学校英語「必修化の必要なし」:Sankei Web
上記のSankei Webによりますと、文科省が今春行ったパブリックコメント(総数471件)では積極論が54.6%、消極論が40.1%と意見が二分しているそうです。
この問題は以前から、議論が確かに二分しています。私個人は以前から必修化に賛成です。
「美しい日本語が話せず書けない」ということなのですが、確かに自分も含めて正しい日本語を話すこと、書くことができない人がいることは確かかもしれません。しかし、学校では正しい日本語を教えているにもかかわらずです。学習時間が足りなかったからでしょうか!?
個人的には、テレビの影響も大きいのではないかと思います。しかし、根拠が無いので少し調べてみたいと思います。そういえばそのテレビで、国会で承認される法律は、日本語として美しくないと国語学者の先生が言っていたのを観たことがあります。